@techreport{oai:shiga-u.repo.nii.ac.jp:00009924, author = {酒井, 泰弘}, issue = {No. J-53}, month = {Jul}, note = {Technical Report, 我々は「戦後70 年」を迎えている。この期間は「東西冷戦」から「不確実性の時代」 への転換として特徴づけられる。本稿の目的は、この長い激動の期間における経済科学の 歩みを批判的に検討するとともに、あわせて私の研究者人生を総括することを目的とする。 まず個人史的に顧みれば、商都大阪に生まれた私は戦争末期、35 回に及ぶ激しい大空襲 を経験した。これが私の人生の「原点」であり、以後の研究者としての歩みを決定づけた と言える。「安保闘争」の最中の1968 年、私はアメリカ北東部のロチェスター大学へ留学 し、マッケンジー教授の下で「一般均衡理論」の研究に没頭し、学位を得ることができた。 その後、ピツバーグ大学助教授時代におけるモルゲンシュテルン教授との出会いをきっか けに、私は自分の研究分野を「リスクと不確実性の経済学」へと大きく転換した。1970 年 後半に日本に戻って以来、私は広島、つくば、土浦、京都、そして家内の郷里の彦根へと 住処を転々と変え、今日に至っている。 次に学史的見地から見よう。戦後日本の経済学界においては、多数派の「マル経」と少 数派の「近経」との間で分離対立があり、互いに切磋琢磨していた。自由主義者の私は、「資 本論原理主義」と「一般均衡論原理主義」の双方から、常に一定の距離を置いていた。1989 年の「ベルリンの壁」崩壊以降は、二つの原理主義はともに人気を失ってきた。マクロ経 済学の分野においては、ケインズ主義の隆盛と衰退、それに代わるマネタリズムの急激な 台頭があった。だが、2008 年のリーマン・ショックと2011 年の東日本大震災によって、 すべての事が激変してしまった。 このような経済学の「東西冷戦」から「不確実性の時代」を経て、今や「蓋然性のケイ ンズ」や「不確実性のナイト」が、再び脚光を浴びつつある。フランスの新星・ピケティ の近著『21 世紀の資本』は、重要な格差問題に切り込む力作である。わが「瑞穂の国」か らも、「第二のピケティ」が出現することを切に期待している。, CRR Discussion Paper, Series J, No. J-53, pp. 1-27}, title = {「東西冷戦」から「不確実性の時代」へ : 戦後70年経済科学の歩みと私の研究者人生}, year = {2015} }